なんかの日記

精神のデフラグをしている。

事の発端

ある日、高校の頃の部活顧問の怒鳴り声が頭から離れなくなった。


高校生の頃、私は吹奏楽をしていた。
部活の顧問は、普段は陽気で明るいけれど、ある日いきなり昨日まで何でもなかったことに激昂するような人だった。

ある日は合奏始めに、苛立った様子で突然特定のパートを名指しして一番難しい箇所を吹かせて、3回ほど失敗したところで「そんなのも吹けない奴なんか要らないんだよ!!」と絶叫したり、

ある日は合奏開始直前、パート練習に使っていた校舎の普段から開けっ放しにされている通用扉を見て「君たちは戸締りも出来ないの!?」といきなり声を荒らげ、特に部長や副部長の責任だと主張して強い罵倒の言葉を口にしたり、

ある日は新入生中心で編成されたチームの初めてのホール練習でなかなか音がまとまらず「時間の無駄だから帰れ!!!」と練習を中止させ、必死に頭を下げる新入生たちに「邪魔だから帰って」「君たちみたいな人は要らないから出て行って」などの言葉をぶつけた後、何度も何度も謝罪し続ける新入生たちを一切無視して上級生チームの練習を強行したりすることもあった。

当時、私を含む部員はそれを受け入れていた。きっと間違っているのは自分たちの方なのだと信じていた。
自分たちは意識が低くて、上手くなるにはもっともっともっと必死に頑張らなければならないと、部長はいつも言っていた。

思えば、その頃にはもう私は毎日生きるのが苦しかった。
でも自分が苦しいと言ったところで、部員にはやる気がないと思われるだろうし、クラスメートにはそもそもそんな暗い話出来ないし、親に話したらむしろ私の方が悪いと言われてしまった。

誰かに相談するメリットよりデメリットの方が遥かに大きくて、誰にも相談しないことが最適解ということに気付いた。

通学路の駅のホームに走ってくる電車の、線路と車体の間の空間に自分の体が引き寄せられそうになる感覚を今でも覚えている。

大学受験は上手く行かず、浪人を決めた。予備校での時間は部活時代に比べれば充実したものだった。

大学入学後の生活は打って変わって平穏だった。グループワークで他人の仕事を押し付けられて怒りに震えたり、接客のアルバイトで客に八つ当たりされて凹むことは多少あったりしたけど、友人に恵まれて楽しい時間を過ごすことが出来た。時々高校の部活顧問の声を思い出してパニックになることはあったものの、初めはちょっと疲れているだけなのだろうと思っていた。


大学院の授業開始を控えた今年の4月上旬、突然高校の部活顧問の怒鳴り声が頭の中に鳴り響き、そのまま止まらなくなった。

大学にいる間、徐々に高校の部活で体験した出来事が深いトラウマになっていることに気がついた。 普段から心に蟠りがある時はなるべくそれを言語化して、どうすれば良いのか考えるように努めていた。
一時期は自分の精神状態がPTSDに近いことに気づいて、代表的な治療法(いわゆる認知行動療法)を自力で出来ないか試したりもした。

今まで、ある程度の時間を割いて私なりにこのトラウマへの対処を考えてきたつもりだった。ここ最近は思い出してパニックになる頻度も少なくなってきているところだった。

なのに、その日は顧問の怒鳴り声が収まらなかった。頭の中で罵声を上げる顧問に呼応して身体が震え、恐怖のあまり自室で叫び、途絶えることなくパニックの状態が継続した。

そして思った。

もうお手上げだ

私一人ではどうすることもできない

そして、私はいわゆる心療内科と呼ばれる病院に、初診の予約を入れることになった。


このブログには、私の心療内科への通院記録と、精神に関わる気づきを記録する。

記録するだけならスマホのメモアプリにでも残せばいいのだけど、折角だからブログとして、日記のような形で残してみたいと思った。

文字に書き下すことで気持ちが整理されるようで少し楽になるし、個人的に感情を言語化する訓練もしたいと思っているところだった。

今日は貰った薬の副作用で眠気がやってくるまで、今日までにあったことを記事にしていきたいと思う。