「苦しい」と言えれば良かったのかもしれない。
自分の何が駄目だったんだろうと考えていて、きっと私はどこかで人間性が壊れていたのだろうと初めは思った。(実際その部分はあると思う)
人が怖くなって、人を信じなくなって、結果人から距離を置かれるようにもなって、当然人に心配されたりすることもなくなった。
自分の人生が自分のものである以上、どんな過去があったとしても自分の言動は自分の責任とみなされる。
例え小さい頃の嫌がらせが原因で人を信用出来なくなったとしても、それを誰かが弁護してくれる訳でもなくて、ただ自分が「近付きにくい人物」だと思われてしまうだけだ。
それも、自分に至ってははっきりといじめや虐待と認められている訳でもなくて、精神的な疾患としてもついに診断が下りることはなかった。
…そうやって自分の苦しみを「人に理解させようとする」ような自分の言葉の使い方は正直自分でも嫌だと思う。
だから今日は思っていることをそのまま口にしてみる。
生きているのが辛い。
自分の人生はどこで間違えたんだろう?
何をやっても上手くいかない。
助けを求める方法も分からない。
自分で片付けるべき問題だと思っていたけど、苦しいことを誰にも理解されないのはやっぱり悲しい。
でも……どこでそれを訴えればいいのか分からない!
変に我慢しようと…馬鹿にされると思って、もしくは迷惑だと思って強がってきた手前、今更なんて言えばいいの?
それに、周りの人がそれを支えてくれる人たちだったことに今更気付いて、今まで人を信じていなかった自分はどんな顔を向ければいいの?
人に傷口を見せたら塩を塗り込まれるものだと思っていた。今のコミュニティに行き着くまでそんな人たちしか周りにいなかった。
それは運が悪かっただけ?それで近付きにくい人だと思われるのは自分のせい?
ただ愛されたい。でも弱みに付け込まれて支配されるのは嫌だ。他人に正解を押し付けられるのも嫌だ。
それは贅沢な悩み?そこまで望むのは傲慢?
結局、もっと自分の感情に素直になるべきだったのかもしれない。
こんなに感情を抑えて論理的風に考えるようになったのは多分高校の部活動からだと思う。おそらくそうでもしない限り不安と恐怖で押し潰されていた。
よく考えたら「そうでもしない限り押し潰されるほどの不安と恐怖」って何だよ。そんなにありふれたものじゃないだろう。
つまるところ、自分の人生はどこで間違えたんだろう?に対する答えはきっとこう。
苦しい感情を無いものとして押さえ込むべきじゃなかった。無視をするようにして我慢するべきじゃなかった。苦しいことは苦しいと、はっきり口に出すべきだった。
そして、少し楽になったところで「もう苦しくない」なんて強がらなければよかった……。
私がするべき努力は、苦しいことを「苦しくない」と言う努力じゃなくて、苦しいことを「苦しい」と言う努力だった。