なんかの日記

精神のデフラグをしている。

2021/4/23

新しい薬を飲み始めて3日目。やっぱり薬の効き方は少し変わってきた。

飲み始めた頃ほどの強い眠気は薄れた。それでも漠然とした安心感は健在で、薬を飲むことでその安心感が担保されるというのは心の拠り所になる。

今の薬を飲んでから、私は日常生活の中で思いの外ストレスや緊張を強く感じていることに気づいた。


今の直感をそのまま言葉にするなら、私には苦しみを理解してくれる人がいないような感じがする。もしくは理解されるべきではないのかもしれないし、あるいは誰かに助けを乞うのが純粋に申し訳ないのかもしれない。

ここにそんなことを書いたのも、純粋にそれを辛いと思ったからで、決して構ってほしいならなどではない。安易に苦しさを表明し助けを求めたところで、かまってちゃんだと罵られることは理解している。

それでも、辛いものは辛い。苦しいものは苦しい。


助けを求めるという意味なら、一度親を頼ろうとした。

親は、何か辛い出来事があっても、それを自業自得だと判断すれば、むしろ苦しむのは当然の報いだと考え、なんなら自ら進んで報いを与えようとする人だった。

高校当時、私の苦しさは自業自得だと判断され、過呼吸になろうとパニックになろうと

「ふざけんないい加減にしろ!!!」

と怒鳴るだけだった。

心療内科に通うきっかけになった時のパニックは親にも心配されたけれど、正直いつか何かをきっかけに気が変わって、また親に突き放されるんじゃないかと感じている。

結局のところ、親には機嫌を損ねられたらそれまでで、ひたすら突き放された後、私が降伏を宣言する以外の選択肢はない。今そうなったら、私は安心して不調を訴えられる居場所の大半を失うことになる。


そう思うと、いつも一人でなんとかしなきゃならないと思っていたことが無意識に強い緊張感を生んでいたのかもしれない。

でも今は、頼ってもいい対象がいくつかある。

それはお薬だったり、お医者さんだったり、感情を吐露出来る場という意味ではこのブログもそうだと思う。

現実の自分と結びつかないこの場所で、感じていることを吐き出すことが出来るという保証は、思っていた以上に大きな救いだった。

そう、だって、苦しい思いが溢れそうなとき、もうそれを必死に抑えたり、自分の中に溜め込んだりしなくても良くなったのだから。

どうしようもなく辛くなったら、またブログを書けば良い。

肯定されることはきっとないけど、否定されたり罵倒される危険もほとんどない。
そもそも辛いことを書き綴っただけのブログなんて誰も見ないだろう。

でも、何というか

そういう「辛くなった時に来てもいい場所」というのは、私にとって少し憧れだった。