なんかの日記

精神のデフラグをしている。

5回目の診察

ゴールデンウィークは薬のお陰もあって割と平穏な日々だった。

最近、少しテンションが高かったり調子が良かったりすると、空元気で少し無茶をしてしまう傾向があることに気が付いた。

ここ最近は特にそんな感じだったので、午前中ぐったりと過ごした後、2週間ぶりの診察に向かった。


お医者さんには、最近はかなり調子が良い事、薬は2日に1回ぐらいのペースで飲むようになったと話した。
すると「何で調子が良くなったんですかね?」と問われた。

何で?

うーん…

ここ最近は薬のお陰で、かなり落ち着いた気持ちで毎日を過ごすことが出来ている。
その中で、過去のそうした記憶を積極的に思い起こすことがなくなってきたような気がする。

さらに言えば、薬が効いている時の落ち着いた感覚が日常になってきている。今は薬を定期的に飲めば、効果が切れてもそのままの感覚で過ごすことが出来るようになった。

多分その辺りが、ここ最近精神が楽になった理由なのだと思う。

気が付けばフラッシュバックが最後に起こってからもう大分経った。少なくとも直近2~3週間は、怒鳴り声が脳裏に浮かぶことすらなかった。

私がこのブログで最初に書いた記事を見返して、自分は高校の頃かなり惨い仕打ちを受けていたんだな…とは我ながら感じるけれど、その恐怖に支配されることはもうなくなってきている。

多分、少しずつ良くなっているのではないだろうか。

4回目の受診

今回の診察はあっさりと終わった。

新しい薬にも大分慣れた。思い返せば、この1週間トラウマのフラッシュバックは起こっていない。

お医者さん曰く、今の薬は依存性も低くて前の薬よりも安定しているらしい。
正直、今のお薬の方が私にとっては依存しやすいような気がする。一日中心が落ち着いて幸せを感じられるから、もし薬を飲まなくなって元の不安定な状態に戻ってしまったら嫌だな、って思ってしまっている。

でも、逆に前の薬は効き目が切れるとどんどん心がぐらついてくるのを感じていたから、そういうのが無くなった分、最終的には薬に頼っている感をあまり意識しなくなっていくのかもしれない。

来週は休診になるようなので、2週間分のお薬を処方されることになった。


薬局の処方箋カウンターの人にも、ついに私の顔と名前を覚えられてしまったみたい。今回もちょっとした会話をしつつ2週間分のお薬を貰った。

家に着いた後、お薬手帳を薬局に置いてきてしまったことに気付いた。というか、多分カウンターに渡したまま帰ってきていない。

もう一度薬局に向かうと、どうやら私が家を出た頃に一度電話を入れたらしく、薬剤師さんは驚いた様子だった。

子猫の表紙のお薬手帳と一緒に、お詫びにと栄養ドリンクを一本頂いた。今度ファイトが一発必要そうな時に飲ませてもらおうかな。

2021/4/23

新しい薬を飲み始めて3日目。やっぱり薬の効き方は少し変わってきた。

飲み始めた頃ほどの強い眠気は薄れた。それでも漠然とした安心感は健在で、薬を飲むことでその安心感が担保されるというのは心の拠り所になる。

今の薬を飲んでから、私は日常生活の中で思いの外ストレスや緊張を強く感じていることに気づいた。


今の直感をそのまま言葉にするなら、私には苦しみを理解してくれる人がいないような感じがする。もしくは理解されるべきではないのかもしれないし、あるいは誰かに助けを乞うのが純粋に申し訳ないのかもしれない。

ここにそんなことを書いたのも、純粋にそれを辛いと思ったからで、決して構ってほしいならなどではない。安易に苦しさを表明し助けを求めたところで、かまってちゃんだと罵られることは理解している。

それでも、辛いものは辛い。苦しいものは苦しい。


助けを求めるという意味なら、一度親を頼ろうとした。

親は、何か辛い出来事があっても、それを自業自得だと判断すれば、むしろ苦しむのは当然の報いだと考え、なんなら自ら進んで報いを与えようとする人だった。

高校当時、私の苦しさは自業自得だと判断され、過呼吸になろうとパニックになろうと

「ふざけんないい加減にしろ!!!」

と怒鳴るだけだった。

心療内科に通うきっかけになった時のパニックは親にも心配されたけれど、正直いつか何かをきっかけに気が変わって、また親に突き放されるんじゃないかと感じている。

結局のところ、親には機嫌を損ねられたらそれまでで、ひたすら突き放された後、私が降伏を宣言する以外の選択肢はない。今そうなったら、私は安心して不調を訴えられる居場所の大半を失うことになる。


そう思うと、いつも一人でなんとかしなきゃならないと思っていたことが無意識に強い緊張感を生んでいたのかもしれない。

でも今は、頼ってもいい対象がいくつかある。

それはお薬だったり、お医者さんだったり、感情を吐露出来る場という意味ではこのブログもそうだと思う。

現実の自分と結びつかないこの場所で、感じていることを吐き出すことが出来るという保証は、思っていた以上に大きな救いだった。

そう、だって、苦しい思いが溢れそうなとき、もうそれを必死に抑えたり、自分の中に溜め込んだりしなくても良くなったのだから。

どうしようもなく辛くなったら、またブログを書けば良い。

肯定されることはきっとないけど、否定されたり罵倒される危険もほとんどない。
そもそも辛いことを書き綴っただけのブログなんて誰も見ないだろう。

でも、何というか

そういう「辛くなった時に来てもいい場所」というのは、私にとって少し憧れだった。

新しいお薬

昨日、1つ目の記事を書き終えた後に新しく処方された薬を飲んだ。

ググってみると「持続性心身安定剤」ということだった。脳の興奮を抑える系の薬らしい。

2つ目の記事を書き終えたぐらいで眠くなって(時間も0時過ぎぐらいだったし)、そのまま就寝した。


今朝は睡眠時間も目覚めもいつも通りだった。でも意識がはっきりしてきてから、何だかいつもより心が穏やな気がした。

普段あまり意識していなかった、漠然とした不安や緊張感が抑えられている感じなのかな。

どうやら精神がある程度以上の緊張状態に入らないようにリミッターが掛かっているみたいで、例えば時間に追われて焦ったり、人混みの中で複雑な動きをしようとすると、少し頭がふわっとする。

何というか、常に心地良い眠気に包まれているみたい。

前の薬を初めて飲んだ時にも眠気や平衡感覚のブレみたいなものは初めの頃あったし、これから薬に慣れてくれば、きっとこのふわっとした感覚も変わってくるのだろう。

でも今日ぐらいは、このずっと続くお昼寝気分を楽しみたいと思う。

3回目の受診

ここ1週間は、ちょっと忙しかったけれど平穏だった。

薬は朝昼晩と処方されているけれど、たまに水が用意出来なくて飲めない時もあった。
それでも、何週間か前に比べれば、薬が効いている時とそうでない時の違いが曖昧になってきた。

このお薬は、ググってみると「短時間作用型抗不安薬」と出てくる。確かに、飲み始めてから数十分で効き始めて、数時間で効果が切れる。

薬が効いている間は、精神がぐらつきにくくなる。
自分の精神を積み木のお城に例えるなら、この薬はお城の柱になる部分を補強してくれるようなイメージだ。

効果が切れると補強はなくなるけれど、ある程度安定したバランスでお城は立ち続ける。でも風が吹いたり地震が起きたりすると、ガタガタと音を立ててぐらついてしまう。

上の方の積み木が少し崩れるぐらいなら、また乗せ直せばいいのだけど、たまに土台の方の積み木が崩れてお城が倒壊してしまう。そうなるともう一度組み直すのに結構時間と手間がかかってしまう。


今回の診察では、試しに新しいお薬を使ってみることになった。今度は寝る前に1錠飲めば1日効くお薬らしい。ただ、人によっては日中に眠気が強く出てしまうこともあるらしく、何かあったら教えてほしいと言われた。

最後に、薬が効いている時に何か意識した方がいい事とかあったりするのだろうか、と思って質問をしてみた。

お医者さん曰く、むしろ薬を飲んでいることをあまり意識しない方が良いらしい。今の苦しさはもう自分の人生には関係のないものだと思ってしまった方が良いのだそう。


今回もお薬を貰うためにいつもの薬局に行った。

前回から薄々感じていたけれど、この薬局の薬剤師さん、とても喋ってくれるのである。

今回の処方箋を見て「最近ちょっと眠れなかったりするんですか?」と訊かれた。

そういう訳ではなくて、お試しで処方されたと伝えた。

薬剤師さん曰く、このお薬は耳鳴りや目眩が気になって眠れない方にもよく処方されるお薬らしい。睡眠導入剤という訳ではないけれど、いわゆる自律神経系だとかそういった方面でよく使われるということだった。

後から調べてみると、胃腸や自律神経周りを中心とした心身症に効くお薬としても使われているみたいだった。ふーん。

最近寝起きもあまり良くないから丁度良いかもしれない。


*ここまでが昨日までに起こったことを書いた記事。

2回目の受診

初診からの1週間で起こったことをお医者さんに話した。

「結局地雷原を歩いていただけなのかもしれない」という話をすると、
「とてもいい認知だと思います。」
と言ってくれた。

そして「認知行動療法」という言葉も出てきた。言葉の通り「認知」した上で「行動」することで徐々に慣らしていく治療法だと説明してくれた。

どうやら認知の方は合格で、これからは薬を飲んで少しずつ慣れて行けばこの苦しさは治っていくということだった。

先週と同じ薬を処方されて、2回目の受診を終えた。


病院通いのルートの都合上、今回から処方箋を渡す薬局を変えた。

前回の薬局では特に訊かれなかったけれど、今回「お薬手帳はありますか?」と問われた。

お薬手帳は、昔皮膚科で塗り薬を貰った時に使ったものがあるので、それを使う予定だったけれど

…どうやら家に忘れてきてしまったらしい。

結局、新しいお薬手帳を貰うことになった。茶トラ模様の子猫が眠そうな眼をした表紙のお薬手帳だった。かわいい。

抗不安薬の処方だったからか、会計の終わりに「こんなご時世ですけど、是非たまにはお外に出て散歩してみてくださいね。」と薬剤師さんは言ってくれた。

まだ不安やトラウマを完全に克服した訳ではないけれど、状況が大きく進展した1週間だったと思う。

地雷原

薬を飲み始めてから何日か経った。ちょうどその日は朝食の時間があまり取れなくて、昼もバタバタしていて薬を飲み忘れた。

そして、久しぶりに顧問の怒りに触れてしまった。

ちょうど駅のホームを歩いていた時に怒鳴り声がピークに達して、ホーム端の柵にしがみついた。
その日はその一瞬で一旦落ち着くことが出来た。


そういえば、私はどうしていつも部活顧問に怒られているのだろう、と改めて思った。
当時私は何か悪いことしたんだっけ。

部活動は自分なりに真面目に取り組んだつもりだった。でも定期的に合奏やミーティングの場で部活顧問が声を荒らげて怒り狂うことはあって、その度にまるで「人間として当たり前のことが出来ていない」と言わんばかりの強い語調で非難されるのだった。

よく考えると、顧問は「昨日まで何でもなかったことに対して急に激昂する」ことが多かった。
当時私たちは、きっと顧問には何か考えがあって、ある程度の基準のもとで人間的な教育のために私たちを叱ってくださっていると考えていた。

ところが、これまでの怒られた場面を整理していくと、そこにはこれといって一貫性が見られなかった。大抵のケースは「ある日いきなり」だった。

だとすれば、きっと顧問が怒る基準は日替わりで、私たちは毎日、何が顧問の気に障るのか分からない緊張感の中で過ごしていただけなのではなかろうか。
ただ単に地雷原を歩いているだけだったのではなかろうか。


そう考えれば顧問の怒鳴り声がずっと聞こえ続けるのも説明がつく。

つまり私は、自分の普段の行動すべてが「もしかしたら顧問の気に障るかもしれない」という不安に支配されていたと考えられる。
そして気に障ってしまったらその先に何が待っているのか分からない。少なくとも大きな声で罵声を浴びせられるのは確実で、下手したらそのまま練習の機会がなくなったり、大会に出られなくなるかもしれない。

その恐怖が消えないまま今まで来てしまったと解釈すれば、今の自分の状況にも納得が行く。

高校を卒業してから結構な時間が経った。今はもう顧問の目はなく、普段の私の行動は多くの人にとって特に不快なものではないらしいことが分かっている。

もう地雷原はここにはない。

自分の一挙手一投足が顧問の地雷を踏んでしまう危険性を考える必要はもうない。

そう考えると気が楽になってきた。

私が今歩こうと、話そうと、何か作業をしようと、顧問が気に障って殴り込んでくることは絶対にないのだから。

それを境に、顧問の怒鳴り声が常に聞こえることはなくなっていった。